イロドリ便り

当事務所の弁護士&スタッフが、日常の由無し事を綴ります

思考停止にならないように(散歩)

2月24日、ウクライナ侵攻が起きました。

新聞やテレビで流される情報・映像が、「今」のものだとは思えない自分がいます。

市民が犠牲になったという映像・情報が、一方ではロシアによるものだとして流され、他方でロシアはフェイクニュースだとします。その真偽を正確に認定する能力を持ち合わせていないのですが、どちらも責任を負いたくないほどのひどい出来事が起きていることだけは間違いありません。

 

ある地に生まれ、学校に行って、仕事をして、人間関係が生まれ、様々なものを築いてきたものが、ある日、自分ではコントロールしようのない暴力に奪われるということを見ると、絶望的な気持ちになります。

「絶望的な気持ち」の中身を考えてみると、自分が知ってしまった不条理な出来事を目の前にして、自分では何もできず、何をしたらよいのかわからないという状態に、どうしようもなく無力感を抱き、考え・気持ちが整理できないということだと思いました。

そう思うと、実は、今回のウクライナは、連日、広く報道されているから、日々、自分が接するだけで、アフガニスタン、ミャンマー、ウイグルでも、知れば同じ気持ちになる出来事が日々起きているかもしれないと思い、最後には思考停止になりそうになります。

 *思考停止したので、一休み。

少し目線を近くにして、私の仕事も争いごとを対象としますが、見解の異なる当事者がいても、最終的には裁判所というところで判断が下されます。その判断が真実というわけではなくとも、少なくとも、見解の異なる当事者が同じルールに服する前提があるだけでも、争いが暴力的にならずに決着できるということは、異なる意見を持った人間が同じ社会で生活をするためには重要なことだと、改めて思いました。

自分の卑近な話に戻って、自分の目の前の知り得る範囲のことだけを考えればいいと思い、やっと考え・気持ちが整理できそうに思いました。

 

しかし、私の机の上にある六法には、どんな法律よりも前に掲載されている日本国憲法前文に、下記のような記載がされていたのを思い出しました。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」

 

 自分の知り得る範囲は、しんどくても広げなければならないようです。

 やっと春が訪れました。

 ハルの散歩の季節です。

 

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