鼓膜で食らうロックンロール
ふと、「聞く」「聴く」ということは、今の世の中では能動的な、積極的な行為だと思うことがありました。
この数年、サブスクで音楽を聴くようになり、CDプレイヤーを再生する機会がめっきり減りました。今の車は、CDを挿入する場所もなく、スマホを同期して音楽を聴くようになっています。ディーラーによれば、「最近は、CDを聴く人は少なく、スマホで聴けるから」とのことです。
つい最近、CDを買いました。サブスクでは、すぐに聴くことができなかったので。
CDで音楽を聴くためには、包装紙を外し、ケースを開いてCDをプレイヤーに入れて、再生ボタンを押さねばなりません。
その作業をしているとき、これから聴こうとしている曲への期待が高まるのを感じます。再生ボタンを押すとき、最初にどんな音が流れるのかどきどきします。
曲が始まったら、歌詞カードを手にして、曲が終わるまでプレイヤーの前で贅沢な時間を過ごしました。
「贅沢な時間」と感じたときに、思いました。昔は、当然にしていたCDを買って、音楽を聴くということが、今は、自分で思い立ってする能動的な行為になっていると。
中学生の頃に、ウォークマンというのが世に出ました。散歩したり、電車に乗って、外の景色を見ながら音楽を聴くということを初めて体験したとき、すごく特別な気持ちになりました。
それから、音楽は、どんどん気軽に聞けるようになって、今は何かをしながら聴くことが圧倒的に普通になってしまいました。スマホがあるので、四六時中、情報・メッセージが入り、あふれる情報を処理するだけで一日が終わってしまいます。「ながら」、で音楽を聴くのは仕方ないかもしれません。
そのような今、あふれる情報等を遮断して、好きな音楽を聴くということは、とても特別なことで、それは能動的な、積極的な行為です。
レコードが、最近とても売れているというのは、僕が感じたこととつながっているようにも思います。
音楽の話をしてきましたが、これは人の話も同じです。
今の世の中は、普通にSNS等で自己発信し、他の人の情報は湯水のように入ってきます。コミュニケーションの方法も、会うだけでなく、メール、LINE、ZOOM等多種多様です。人の話も「ながら」で聞き流してしまうこともあります。人と会って話をしている最中、その場にいない人とスマホを操作してLINEなどでコミュニケーションするということも珍しくありません。
そういうコミュニケーションの仕方は、一昔前だと失礼にあたると言われていたように思いますし、今も私は好きではありませんが、否定するのが面倒なくらい一般化されています。
歌詞をいつまでも覚えているくらい必死で聴いた曲は、心の支えになって自分の窮地を救ってくれることもあります。人生のパートナーみたいになる曲もあります。しかし、「ながら」だけで聴いた曲は、そこまで残りません。
人との出会いも、ときに同じようなことが起きることがあります。
人の話も、能動的に、積極的に聞くことは、今の世の中だから、より大切なことなのかもしれません。
ハルは、あふれる情報に惑わされることなく、真っすぐに前を見て、瞬間を生きています。何をするにしても、目の前のことに全力で能動的で積極的です。
そんな風に生きられたら、と思います。
ハル