イロドリ便り

当事務所の弁護士&スタッフが、日常の由無し事を綴ります

平和な一日

 今日、3月11日に東日本大震災から10年の節目を迎えるということで、たくさんの震災関連の報道がありました。
 「原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜」という番組をみました。福島の原発事故の最悪のシナリオが作成されるまでのドキュメンタリー番組でした。恐怖を感じたのは、事故の「最悪の想定」ができないままに対応をしていたということでした。
 規模や性質は違えどリスク管理をする立場の人間としては、起きた事象に対しての対応策を検討するに際し、「最悪の状況」を想定した上で、それを回避すべく、最良の結果を導くためにはどのようにしたらよいのかを考えるのが常です。そうしたことが、国家レベルの事故で行われていなかったということに恐怖を感じました。ただ、それは対応をしていた政府や東電の問題ではなく(問題がなかったわけではないと思いますが)、問題の本質は、最悪の状況も想定できないようなものを作って稼働し続けてきてしまったということだと思いました。
 理屈や技術的に実施可能なことがあったとしても、最悪の想定をした場合にとんでもない結果が生じる可能性があれば、その選択は選択肢から排除されます。具体的に最悪の想定をすることが困難な場合でも、その選択肢を選ばざるを得ない状況がないとは言い切れませんが、少なくとも、その選択をした場合の想定できる範囲の最悪の結果が、取り返しがつかないような事態を招かないという意味で可逆的なものでなければ、その選択を選ぶ余地はありません。
 この考えは、リスク管理をする立場の人間でなくとも、理性を備えた人であれば到達する結論だと思います。しかし、これが自分自身のことでなく、他人事と思えたら、もしくは国家レベルの大きな話になれば、違う結論になってしまうのでしょうか。
 10年前、地震直後は、原発のことまで大きな話でなくとも、少なくとも、節電を心がけていたのに、その意識が薄れていることに気が付きました。10年前に感じた危機意識も同じように。僕のように大切なことを忘れ、危機意識が乏しく続かないことが、現状につながっているのだと思います。
 そんなことを考えて、愛犬ハルと少し肌寒い公園を散歩しました。平和な一日は当たり前に存在するわけでないことを忘れないようにしないと、と思いました。

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