「新世紀のラブソング」
「息を吸って 命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?」
これは表題の歌の一節です。
この曲を聴いていた30代のころ、呼吸をして、食事して、排泄するだけの生き方を批判的に、ネガティブな意味でとらえていました。
向上心をもって、何か大きな目標を設定して努力するというようなことに意味があると考えていたからだと思います。
最近、愛犬ハルが、腰痛などが原因で歩くことがままならず、オシッコやウンチができない状態となりました。いつもの散歩コースを抱っこして歩き、オシッコしそうな場所で降ろして促しても座り込んで動かない、ということが連日、何回も繰り返されました。ハルも私もとても辛い日々が続きました。
公園に座り込みハル
そんな日が続いたある日、ハルが久しぶりウンチをしてくれました。本当にほっとした瞬間でした。
その後、何とかハルは回復して、以前のように朝晩の散歩と散歩のときに排泄を規則正しくできるようになりました(自宅でしてくれるようになって欲しいのですが)。
回復すると日々の当然のことになってしまい、その大切さを忘れてしまいそうなとき、ふと表題の歌を思い出しました。かつては、ネガティブな意味でとらえていた歌詞を違う意味で感じました。
話は変わりますが、最近、大江健三郎さんや坂本龍一さんがお亡くなりになりました。お二人は、世代が違うのですが、社会に発信されていた作品や発言は、知らずとも影響を受けていると思います。
偉大な先人の方は、当然ですが次々に亡くなっていきます。自分も歳を重ねます。この先は、これから得るものより、これまで得たものを失うことになるように感じています。
ただ、その感覚は、ネガティブなものではなく、かつては持っていなかった若しくは見落としていたものを、今はその存在を大切にしようとしているということで、いいことだと感じています。
今朝も、ハルは、息を吸って 命を食べて 排泄しました。いい一日です。